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昨日までの雨も上がり
すっきりとした春の青空が広がります。
まだ雪をかぶった雄大な岩手山が
盛岡市民を癒し、そして大きなエールを
おくっているようにも思います。
盛岡市を後にして、東北自動車道を南下。
やはり道路状況は悪く50キロ規制。所々に亀裂を
修復した痕があり、段差では車体も大きく
上下したりと、極めて慎重な運転が要求されます。
若柳金成インターで降り、宮城県南三陸町へ。
テレビでも数多く放送されている被災地。
町民の半数以上と連絡が取れず
約1000人が遺体で見つかった町です。
豊穣の海ということもあり
美味しい三陸の海産物で有名な観光地でもある
この町も、壊滅的な被害を受けていました。
がれきが3階建ての屋根に残るコンクリートの建物。
海沿いにある4階建てのマンションはすべて
津波に飲まれ、外観だけが残っています。
いつもならキレイな海が見える
優雅なマンションだったんでしょう。
入り組んだ湾になっているこの場所まで、
まさか津波が押し寄せるとは誰が想像できたでしょうか。
津波直後にはこのマンションの屋上で救助を待つ
人たちが寒い中一夜を越したそうです。
その後、三陸自動車道から仙台東道路で仙台方面へ。
石巻市などからの救援物資を運ぶトラック、炊き出しの
車両などが多くなり、かなりの渋滞の中、
仙台東部道路を経て名取市へ向かいました。
平野が広がる米処ですが、途中から左に見える
海沿いからの光景が一変します。
津波が押し寄せた後は、田畑に散らばる一面のがれき、
砂なども混ざり、ここはどんな場所だったのか?
想像できない状況です。
家屋も津波に飲み込まれ10号線の道路も
多くの漁船が流されています。
高台もない平野が広がる地域では、
どれだけの人が避難できたんだろうか?
三陸沿岸とは全く違う被害状況です。
岩沼市の仙台空港も一時は1300人が孤立する
津波の被害に合いましたが、米軍の努力もあって
もう離発着ができるぐらいに回復していました。
人間の力はすごい!もう日も西に傾き、
滑走路に光るライトが、希望の光のように見えました。
夕暮れはとても美しい地域です。
被害を受け破壊された街並みを、何もなかったかのように
ゆっくりと夕焼けが染めていきます。
2日間で回った岩手県と宮城県の被災地。
陸前高田市に入った瞬間に、
言葉を失う光景は一生忘れないでしょう。
あまりにも広すぎる被災地の姿に、
いったいどうすればいいのだろう。
傍観者の無力さに、心が折れそうにもなります。
これじゃ何もできなんじゃないか?絶望感すら感じました。
でも、多くの被災した方々や地元のメディアの方の話を
聞くにつれて、何か少しでも進んでいかないといけない。
そんな思いに変わりました。
復興へは、想像を超えたとても長い時間と労力が必要です。
今、「頑張って!」という言葉は、本当に薄いかもしれません。
被災地は、今、頑張って歯を食いしばって
必死に耐えているんです。
僕たちは、これからの長い復興への道のりを、
決して忘れずに、今、自分にある仕事や役割、
やるべきものがある事の幸せを感じて、
できる事から地道に少しずつ、
一緒に進んでいくことではないでしょうか。