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[THE LEGENDS ATHLETE OF TOCHIGI]

2017年11月25日

第8回 マラソンランナー 赤羽 有紀子(あかば ゅきこ)

1979年10月18日、栃木県芳賀町(はがまち)に生まれる。
中学1年生から陸上を始め、地元真岡(もおか)女子高校から城西(じょうさい)大学に進学。
大学でメキメキと頭角をあらわし、
1999年、ユニバーサヒアードでハーフマラソンで銀メダル。
2001年の北京ユニバーシアードでは、10,000mで銅メダルを獲得。
また、「全日本大学女子駅伝」では、4年連続区間賞も獲得。

大学卒業後、北海道の実業団チームに入った赤羽は、
大学時代の同級生で同じく陸上選手の浅利周平(あさりしゅうへい)と結婚。
この結婚を機に引退を決意していたが、競技継続の声に応え、選手継続を決めた。

夫・浅利周平をコーチに迎えた2005年11月、5,000mで
日本歴代4位の好タイムをマークし、日本の女子トップ選手へと成長した。


翌、2006年には女児を出産。
産後も選手として競技を続け、ママさんランナーとして注目される中、
2007年11月、国際千葉駅伝で日本代表に選出。
日本代表のアンカーで、女子マラソン世界記録保持するケニアの選手を抜き、逆転優勝。

さらに勢いは増し、2008年3月の全日本実業団ハーフマラソンでは、
野口みずきの記録を破り大会新記録で優勝。
その後も、日本陸上競技選手権の女子10,000m、女子5,000mで共に2位に。
そして、「ママさんランナー」としては日本陸上競技界で史上初の
北京オリンピック代表入りを決めた。

しかし、北京オリンピックで納得のいく走りができなかった赤羽は、
2009年1月の大阪国際女子マラソンで、フルマラソンに初挑戦。
積極的に先頭に立ちレースを引っ張ったが、後半、渋井陽子(しぶいようこ)とのマッチレースに
最後まで着いて行けず、結果、渋井に2分近くの差をつけられ2位となった。

ゴール後の赤羽は「楽しかった。」と満足そうな笑顔で語った。

初めてのフルマラソンを楽しめた赤羽はその後、
仙台国際ハーフマラソン、日本陸上選手権女子10,000mで、連続初優勝。

しかし、「ママさんランナー」として、競技と子育ての両立は、甘いものではなかった。


その後「世界陸上ベルリン大会」をはじめ、数々の世界大会、国際大会を走ったが
結果が安定せず、苦しい時間も過ごした。
それでもコーチで夫の浅利(あさり)周(しゅう)平(へい)と二人三脚で走り続け
2011年1月、「大阪国際女子マラソン」に出場し、
5度目のマラソンで念願の初優勝を果たした。


2014年、所属のホクレンが「大阪国際女子マラソン」での撤退を表明したことを機
に、赤羽も、引退レースとして出場。
結果は、日本人トップで2時間26分の2位でゴール。
レース後、優勝選手のドーピングが発覚し、赤羽が繰り上がり優勝。
有終の美を飾った。

ラストランを終えて、「達成感があって満足している」と選手生活を振り返る赤羽は、
現在、1児の母として育児する傍ら、
「今後は、走る楽しさを伝えたい」と、陸上競技の普及活動を行っている…

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