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[番組で紹介した情報]

2018年2月24日

第21回、第22回のゲストは…

作新学院高校 水泳部(ビッグツリースポーツクラブ所属)
遠藤 光(えんどう ひかる)選手です!
*2016年8月に行われたインターハイ。
 当時、高校1年生だった遠藤選手は、周りの泳ぎに圧倒されて思うような結果は残せず・・・
 決勝に進むことさえできませんでした。
 そして1年後、2017年の夏。
 努力を重ね強くなった遠藤選手は、インターハイ決勝の舞台に立っていました。

 予選は調子も良く、イメージ通りの泳ぎでベストタイムを更新。
 ただ、決勝は対戦したことがない選手ばかり、
 相手のスピードもわからず、駆け引きもできない状況でした。

 少なからずプレッシャーのかかる戦いでしたが、
 遠藤選手は、スタート直後から落ち着いてレースを展開。
 1500メートルという長距離を、一定のペースで泳ぎ続けました。

 3位表彰台と予選に続くベストタイム更新という嬉しい結果。
 全く歯が立たなかった1年前から、遠藤選手にはどんな変化があったのでしょうか?
*遠藤選手を厳しく育て、才能を開花させた、仲の良いコーチととも

2018年2月10日

第19回、第20回のゲストは…

「ホンダエンジニアリング」 ソフトボール部
浦本大嗣 選手兼監督&林田太地 キャプテン!
*ホンダエンジニアリングソフトボール部が主戦場とする日本リーグは、
 東日本、西日本に分かれてリーグ戦を行い、上位4チームが決勝トーナメントに進出します。

 2017シーズン、2014年以来の優勝を狙っていたホンダエンジニアリングは、
 リーグ戦を3位で通過。
 11月、足利市総合運動場硬式野球場で行われた決勝トーナメントに駒を進めました。

 初戦の相手は、西日本2位の「大阪桃次郎」。
 2016シーズンの準優勝チームです。
 
 試合が動いたのは2回裏。
 大阪桃次郎に、死球と四球で出してしまったランナーを
 8番バッターに追い込みながらも、ライトオーバーの3塁打を打たれ
 2点先制されてしまいます。

 しかし3回表、ホンダの攻撃の回、相手エラーで出塁した加藤選手と石川選手を
 3番大石選手がレフト前ヒットで返し、同じく2点を獲得、2-2と試合を振り出しに戻します。

 追いついた後だからこそ、テンポよく無失点に抑えたい3回裏の守備。
 その重要性は誰もがわかっていました。
 しかし、痛恨の連続失点で、2-4と勝ち越しを許します。
 その後、6回裏にも5番バッターを追い込みながらもホームランを打たれ
 追加点を許してしまい2-5。

 試合はこのまま終了し、2017シーズンの決勝トーナメントは、初戦敗退に終わりました。
 
 
 
 …「2017えひめ国体」で優勝した彼らでしたが、
 その甘えが、シーズンファイナルに出てしまったそうです。
 
 2018年2月、もう次のシーズンに向けて動き始めた彼らに注目です!

[THE LEGENDS ATHLETE OF TOCHIGI]

2018年2月24日

第17回 元・プロサッカー選手 小林 成光(こばやし まさみつ)

1978年4月13日 、栃木県佐野市に生まれる。
小学2年生の時にサッカーを始めた小林は、
1994年、佐野日大高校に進学。
在学中は、3年連続で国体栃木県選抜に選出された。

高校を卒業した小林は、東京ガスに入社。
当時・ジャパンフットボールリーグの 東京ガスFC(現 FC東京)に入団。
入団1年目から、ルーキーながらリーグ開幕戦にスタメン出場。
普段は、ガス検診をこなしながら、サッカー選手としてプレー。
監督の期待に応えるために必死にプレーし、全試合に出場。そして新人王に輝いた。

その後チームは、J2、J1と昇格し、2002年にはプロ契約選手となった。
チームの掲げる攻撃的サッカーの切札として、左ウイングに抜擢。
2002年の開幕戦、前年度優勝の鹿島を相手に小林は、2得点2アシストと大活躍。
次節の浦和戦でも決勝点を挙げて大活躍。
日韓W杯の秘密兵器とも言われるようになった。

しかし、2002年4月15日、
練習場に向かう途中、オートバイで突風に吹かれ バランスを崩し転倒。
右大腿部骨幹部を骨折。
長期のリハビリを強いられることになった。

それから2年後の2004年3月、公式戦に途中出場で復帰。
2007年、J2チームからもオファーを受ける中、
Jリーグ昇格を目指すJFLに所属する地元チーム・栃木SCへ移籍。
そして2008年のJ2昇格に大きく貢献した。
しかし小林は、この年限りで栃木との契約を満了。
栃木でサッカーを終える意思を持っていたため、故郷のクラブのJ2昇格を花道に
現役引退を表明した。

この時、たくさんの選手が戦力外となり、小林は、あちこちに連絡を取り、
若手選手達の移籍先を探したりと、面倒見のよさが印象的だった。

2009年、古巣のFC東京にて育成部コーチに就任。
感性と冷静に見る目を併せ持ち、選手個々に考えさせる指導ができる、と
クラブ上層部からの評価は高く、
2010年、日本サッカー協会公認B級コーチライセンス取得、
自身も、東京都社会人リーグの FCフエンテ東久留米 で再びプレーし、
チームの1部昇格に貢献した。

2017年、栃木の作新学院大学サッカー部コーチに就任。
さらには、母校の佐野日大でもコーチを務め、
現在も、地元のためにと栃木に戻り、育成に力を注いでいる…

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