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新日鉄釜石で有名な釜石市へ。
沿岸部は壊滅。大きな工場なども崩れ落ち、
どうしたら撤去できるのか?想像すらできません。
港には、長さ70m以上の大きな貨物船が、
何か巨人によって
ひょいと持ちあげられたかのように、
埠頭に乗りあげています。
見ることがない船底もあらわになり、
津波はどれだけの力をもっているのか
ただただ圧倒されます。
しかし、傍らでは自衛隊員が懸命に
鉄骨を集め撤去に従事しています。
でも、このあまりにも広大な被災地では
10万を投入している自衛隊員の姿も、
ほんの一部なのです。
この光景を元に戻すにはいったい、
どれだけの労力と時間がかかるのか?
とても長い道のりが待っています。
大槌町。町は壊滅。町長を含め1万人が
行方不明になった場所。
津波が襲ったあと、住宅のプロパンガスや
灯油タンクが次々に爆発して町は、焼け野原に
なっている個所も多くあります。
赤茶けた光景は、ここは戦場なのか?
と思うほどこれまでとは別の光景が広がり、
なんとも言えない焦げたにおいがまだ残っています。
友人のFM岩手ディレクターの実家がある山田町。
以前、海水浴で訪れたキレイな三陸の街は、
同じような惨状でした。
さらに北上して宮古市へ。
時刻は6時を回りあたりも暗くなってきました。
ここは津波が高さ10の堤防を越えて街を飲み込んで
いったそうです。
住宅3200棟が倒壊。中心部の街並みは電気も点いて
普段通りの風景が広がっているような印象ですが、
物資は少なく、ひっそりしています。
宮古市から国道106号線で盛岡へ。
到着した頃は、もう夜の9時を回っていました。
震災時は震度5強でしたが、街は大きな
被害はなかったそうです。
スタジオも無事でした。
エフエム岩手の友人、中村ディレクターと再会。
さすがにやつれた表情でした。
被災地情報に追われた1カ月近くを振り返り、
同じラジオマンといして様々な情報を聞きました。
「これから残された人間として、できるだけの事を
していきたい。
まわりから沢山の支援をいただき、本当に感謝している。
その気持ちを胸に、一歩一歩進んでいくしかない。」
あまり多くを語らない東北人の気質。
でも、そこには決してあきらめずに時間がかかっても
前に進んで、なんとしても復興させる強い決意がありました。