[キラリ!日光]2014年1月23日
いよいよスタート日光国体!![]() 東日本大震災以降、元気のなかった日光市。通常は4年かかって準備する所を、たった1年半で、国体誘致が実現させたそうです。その情熱は、栃木県を元気にしたいという福田富一知事や、同じ気持ちを持つ斎藤文夫日光市長を始め、たくさんの方の熱い想いが集結したから、だそうです。
ところでダンディな星野さん。実はすごいスポーツ選手なんです(現役時代の星野さんの写真は↓↓です)。簡単に経歴をご紹介しますと、スピードスケート選手として日光高校の高校生時代、初のインターハイ出場。そこで北海道の選手に2周も抜かされて、実力の差に愕然としたそうです。どんなトレーニングをしているのか、どんな事をやっているのかを聞いて、実践。努力を重ねた結果、立教大学2年生の時に日本選手権で5000M優勝、1万Mでは新記録を樹立。そして世界選手権へと羽ばたかれました! ![]() 選手を引退した後は指導者として大活躍。こちらもすごい経歴です! 1972年の札幌オリンピックのコーチをはじめ、インスブルック(オーストリア)、レークプラシッド(アメリカ)、1984年のサラエボ(ユーゴスラビア)と、3大会連続してオリンピックの日本選手団の監督を歴任。サラエボオリンピックで日本スケート史上初のメダリスト、銀メダルを北沢欣浩(きたざわ・よしひろ)選手が獲得したことで、監督を引退。この時星野さんは50歳。若い人がより活躍できるようにとのご勇退でした。そして現在は、栃木県スケート連盟の会長をされております。
![]() 輝かしいスポーツ人生を送れた理由に、星野さんは地元の皆さんのご尽力を挙げてくれました。昭和7年、今から約80年前に“東洋一のリンク”と謳われ設立された細尾リンク(写真下)。それは、まだまだ田舎町だった日光に、なんとか冬のスポーツ文化を根付かせよう、このリンクから世界で活躍できる選手を育てたいという、地元の方の悲願でした。
![]() 幼い頃からこのリンクに出入りし、練習を重ねた星野さん。中学生の頃のエピソードを教えてくれました。川が渡れない時に、地元の方が自分達を背負って川を渡り、向こう岸にあるリンクまで運んでくれたそうです。そこまでして自分達のスケートを支えてくれた大人たちの熱い想い。期待度が高い分、プレッシャーを感じない訳ではなかったそうですが、星野さんは輝かしい成績をスケート界に残されました。
今回の日光国体のテーマは「ひかりの郷(さと)日光国体」。栃木県からは全4種目に、監督7人、選手49人、合わせて56人の方が参加されます。ひかり輝く日光の地から、みんなの夢や感動が広がって、それはいつしか世界へ・・・! 未来へ・・・!! 羽ばたくことでしょう。その感動を見に、是非日光国体の応援、いきましょうっ!! ![]() |
お話しを伺ったのは、日光で国体が開催されるようご尽力なさった、栃木県スケート連盟会長であり、元スピードスケートの選手の星野仁(じん)さん(写真↓右)です。ダンディー!!