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[今週のレター]

2017年11月16日

答えにたどり着くまでの計算式



福井県 34歳 山下菜香様

父さん、亡くなった日、病室で最後におしゃべりしたこと
覚えていますか?
「数学で一番大切なことは答えじゃない、答えにたどり着くまでの計算式だ」って。なぜかこの話題になったね。
この時はいつも通りだったのに、私が家に戻って二時間後には逝ってしまうなんてずるいよ。父さん、最後一緒にいられなくて本当にごめんなさい。

小学1年から中学3年まで、父さんは、算数う数学の苦手な私に、何度もわかるまで教えてくれたね。図や表、問いには模型まで作って説明してくれたこともあったね。それでも理解できない私に真剣になりすぎえて途中で怒り出すことも何度もあって。怒りながら教えるから、私も小学生の時は、
よく泣きじゃくりながら問題解いて。けど、「もう無理」っていうと、父さんは
「これが無理ならこれから何でも無理になる」ってもっと起こるから私も必死だったんだよ。しかも、答えが出ても、途中の計算式を書かないとまた怒る。
「順序立てて整理して書くことが次の
答えに結びつくから、途中の式は大切なんだぞ。むしろ答えより大事だ」って。
だから思わず「途中の計算式書いても、答えが合ってなかったら点数はもらえないよ」っていうと、はっきりと「それでいい。自分の考えを書いたのなら0点でも良い」といったのには正直驚きました。
怒られながら泣きながら、それでも9年間、わからない問題が出るたびに
根気強く教えてもらったことが、今では大切な私の財産です。
父さんが亡くなってもうすぐ1年。父さん、私今ね、答えに辿りつくまでの計算式を毎日歩き続けている気がして仕方がないんだ。
この1年、多くのことに悩み、そしてまだ答えは見つからないことばかり。
けどね、「答えにたどり着くまでの計算式」を心の支えに、
決して諦めず、順序立ててじっくりと取り組んでいくね。
私の考えの基盤を作ってくれたのは、まさしく父さんです。
父さん、いつもありがとう。今日も天国から見守っていてね。

2017年11月9日

私のマザーテレサ 兵庫県48歳 本田よう子様

私のマザーテレサ 

私が四歳半の時、母が他界し、途中継母との生活もあったが、
十九歳で一人暮らしをするまでの大半を祖母に育ててもらった。
団地住まいで質素な生活だった。
家族4人のその日の夕食と次の日のお弁当のおかず、
朝食の食パンを1000円で収めるという暮らしぶりだった。
そんな中、祖母とスーパーの帰りに二人でこっそり食べたお好み焼きや、
お豆腐屋さんのわらびもちは、格別幸せな時間だった。
祖母が好きだったネスカフェのゴールドラベルのインスタントコーヒーも
一緒に飲むようになり、祖母と過ごす、心穏やかな時間のおかげで、
母のいない寂しさや不安を感じることはほとんどなかった。


修学旅行の朝、外まで見送りに出てくれ、
「大きなったね。おかあさんに見せてあげたい。」と涙ぐみながら
背中をそっと撫でてくれた。その時の祖母の骨ばった手から、
今まで注いでもらっていた愛の温度を直に感じた。
泣きそうになりながら後ろ手で手を振り、その場から逃げるように
学校に向かった。
はっきりと一度、そんな祖母を傷つけてしまったことがある。
家庭科実習で、忘れ物をし、祖母に届けてもらった時だ。

私と同じように、忘れ物をしたクラスメイト2人と、
校門で待っていた。
息を切らしながら届けてくれた祖母から、忘れ物のお米を受け取ると、
「はよ帰って」と祖母に背を向けてしまった。
この時初めて、今まで「母がいない」ということを平気そうにしていた
自分に気がついた。
クラスメイトに家庭のことを知られたくなかった。
祖母には謝ることもできず、ささくれのままだ。
大人になって見返した保育園のアルバムおなかに、芋掘りを一緒にしてくれている祖母を見つけた。
母がなくなってすぐのようである。一張羅のベージュのスーツを着た祖母の優しく包み込むような微笑みがあった。
私にとって祖母は母だった。そしてマザーテレサのような存在、愛そのものであった。

2017年11月2日

くらげさん こんにちは。

今回は「つたえたい、心の手紙」募集作品からお手紙を
ご紹介します。
「つたえたい、心の手紙」は、亡くなった大切な方へ向けて
生前つたえられなかった想いを“手紙”として記すことで、
悲しみを乗り越えるきっかけになれば・・・という願いのもと、
冠婚葬祭互助会の(株)くらしの友が、2008年より毎年実施している
活動です。
「クラゲさん、こんにちは」
北米 44歳 青屋 恵理子様

お父さん。お父さんが亡くなって、早37年の月日が流れましたね。
あの時7歳だった私も、お父さんが亡くなった年齢にあと2年で追いついてしまいます。お母さんが、「あんたたちが悪い事する時は、いつだってお父さんが見ているんだからね」と脅すような育児をしたものだから、神様を信じるよりもよっぽどお父さんの存在を身近に感じながら成長して、今に
至ります。
あの日、棺の中で横たわるお父さんの顔を眺めながら、
それでも私は、「死」というものが、よく分かっていなかった。
わからなかったけれど、今日を最後にお父さんとはもう会えなくなるのだ、
という事は、なんとなく理解していました。
誰にも言っていないけれど、あの日、私は心に誓った事があります。
「お父さんと一緒に過ごした毎日を忘れない」絶対に!絶対に・・・。
お父さんの顔、お父さんと手をつないで歩いた時の手の感触、お父さんの歌う声。夜眠る前に目をぎゅっと閉じて、心に浮かべました。必死でした。
お父さんの記憶が薄れて行くのが、怖くて仕方なかったから。

でも哀しいかな。37年経った今、私の記憶で再生できる内容の
少なさを、当時の私が知ったならば、カンカンに怒らせてしまうことでしょう。
そんな私の記憶の箱の中で、しっかりと残っているお父さんとの思い出の一つがお風呂の中でタオルを使って遊んだ「クラゲさん、こんにちは。」工事のお仕事でどんなに疲れて帰ってきても、お風呂だけはお父さんが私たちと一緒に
入ってくれましたよね。

「クラゲさん、こんにちは。さようなら。クラゲさん、また明日・・・」
ふざけた調子で歌うお父さんの様子に大喜びだった私達。
今、私は同じことをもうすぐ7歳になる娘とお風呂の中でやってますよ。
お父さん歌い方を真似ながら。どうやら、クラゲさんがお父さんの形見となって、代々泳ぎ続けそうです。「クラゲさん、こんにちは、また明日・・・」
お父さん、ありがとう。お父さん、ずっとずっと大好きよ。

  
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