RADIO BERRY 76.4FM
[THE LEGENDS ATHLETE OF TOCHIGI]
2018年1月6日
第14回 車いすバスケットボール 増渕 倫巳(ますぶち ともみ)
車椅子バスケットボール 2012年ロンドンパリンピック日本代表の増渕は、
1977年2月12日、栃木県宇都宮市に生まれた。
栃木県立宇都宮南高校に入学した増渕は、バスケットボール部に入部した。
2003年4月、高速道路でトラックに追突させて、脊髄損傷。
車椅子生活を余儀なくされた。
何とか、社会復帰を1日でも早くと前向きに考えリハビリに取り組んでいた
そんなある日、リハビリセンターで車椅子バスケと出会った。
「障害者になったからこそ、できることをやろう」と心に決め、
栃木レイカーズにて、車椅子バスケットボールを始める。
やるからには、日本代表を目指してと、練習に励んだ。
しかし、始めた当初は、自分より重い障害の選手にも競り負け、
シュートもゴールまで届かなかった。
通常の練習日意外にも自宅周辺などで、毎晩夜中までストイックに苦しい練習を重ねた。
競技を始めて5年目、ついに『北京パラリンピック』の代表候補として招集された。
しかし、最終選考でメンバーから漏れて、目標であったパラリンピックに出場することはできなかった。
しかし、折れずに、その悔しさをバネに練習を重ね、
2010年、車椅子バスケットボール世界選手権大会、広州アジアパラリンピックに
日本代表として出場。
さらに、自分の力を試すため、日本No.1クラブチーム「宮城MAX」に移籍。
仕事をしながら、週末は仙台にという生活をして、
2012年には、念願の『ロンドンパラリンピック』に日本代表として出場を果たした。
…正直、アスリートとして、東京パラリンピックも目指したい気持ちはあるが
今まで、自分のやりたいことをやらせてもらって、妻と娘の家族を犠牲にしてきたので、今度は、家族のためにできることをしていきたい。
もちろん、次への挑戦も考えている。
増渕は、競技と両立する為、再び地元・栃木レイカーズに戻り、地元の為にと活動を開始。
今、若手の育成と、車椅子バスケの普及に取り組んでいる…
2018年1月
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番組で紹介した情報
THE LEGENDS ATHLETE OF TOCHIGI
1977年2月12日、栃木県宇都宮市に生まれた。
栃木県立宇都宮南高校に入学した増渕は、バスケットボール部に入部した。
2003年4月、高速道路でトラックに追突させて、脊髄損傷。
車椅子生活を余儀なくされた。
何とか、社会復帰を1日でも早くと前向きに考えリハビリに取り組んでいた
そんなある日、リハビリセンターで車椅子バスケと出会った。
「障害者になったからこそ、できることをやろう」と心に決め、
栃木レイカーズにて、車椅子バスケットボールを始める。
やるからには、日本代表を目指してと、練習に励んだ。
しかし、始めた当初は、自分より重い障害の選手にも競り負け、
シュートもゴールまで届かなかった。
通常の練習日意外にも自宅周辺などで、毎晩夜中までストイックに苦しい練習を重ねた。
競技を始めて5年目、ついに『北京パラリンピック』の代表候補として招集された。
しかし、最終選考でメンバーから漏れて、目標であったパラリンピックに出場することはできなかった。
しかし、折れずに、その悔しさをバネに練習を重ね、
2010年、車椅子バスケットボール世界選手権大会、広州アジアパラリンピックに
日本代表として出場。
さらに、自分の力を試すため、日本No.1クラブチーム「宮城MAX」に移籍。
仕事をしながら、週末は仙台にという生活をして、
2012年には、念願の『ロンドンパラリンピック』に日本代表として出場を果たした。
…正直、アスリートとして、東京パラリンピックも目指したい気持ちはあるが
今まで、自分のやりたいことをやらせてもらって、妻と娘の家族を犠牲にしてきたので、今度は、家族のためにできることをしていきたい。
もちろん、次への挑戦も考えている。
増渕は、競技と両立する為、再び地元・栃木レイカーズに戻り、地元の為にと活動を開始。
今、若手の育成と、車椅子バスケの普及に取り組んでいる…