[MY TOWN なかがわ(2014年3月放送終了)]2013年1月3日
#66 与一めぐり で 一矢必中☆![]() ※ ごく普通の田んぼ・・・ですが、実は 城跡!!
時代は遡ること 平安時代末期。 那須氏の祖、那須氏の祖 須藤権守貞信(すどう ごんのかみ さだのぶ) は、 八溝山の岩獄丸討伐の功績により 那須の地を与えられ 現在の 那珂川町三輪の地に 神田城を築城しました。 そして 源平合戦のヒーロー 那須与一は、 この神田城で生まれたとされているんです! ![]() お城・・・というと、立派な天守閣があるお城を イメージされる方が多いと思いますが、 神田城は 豪族が住むような 大きな舘 の恰好をした お城だったようです。 その特徴は、東西 約130m、南北 約170m 面積 約28000㎡の敷地の周囲を土塁で囲んでおり、 その高さ 土塁だけで5m、周囲の堀の深さは 5m、 高差は なんと10m ほどにもなります! 何よりも、何がスゴイかというと、 1000年も近く この土塁が この地に 残っている ということ!! 作った人もすごければ、 守った人たちも素晴らしかったんですね~(*゚∀゚)*。_。)ウンウン ![]() 続いてご紹介する 与一 縁の地は こちら☆ 『 恩田御霊(ごりょう)神社 』 与一が京都で死去した際、分骨をして 御霊を祀ったのが 御霊神社の始まり と云われています。 そんな御霊神社には、与一にまつわる たくさんの逸話が! その1 三国一の男美男 与一! 皮膚病でブサイクに!? 与一は屋島の戦いで扇の的を射落とし 素晴らしい功績を挙げました。 しかし与一は そのあと病気(皮膚病!?)にかかり 顔中にできものができてしまいました。 そこで、ふと 御霊神社の境内にある 鏡ヶ池の水で 顔を洗ったところ、元の美男子の姿に戻れたそうです。 ![]() その2 与一 愛馬のムチが、でっかくなっちゃった!? 与一は、鍛錬のために 日頃から弓・馬の稽古に 励んでいました。 そして 与一は いつものように 御霊神社の周りで、 愛馬 鵜黒の駒 の稽古をしていました。 与一は 少し休憩をしようと、馬のムチを 逆さに地面に刺したところ そのムチは そのまま根付き、大きな藤の木に育ちました。 それからというもの この木は“逆さ藤”と呼ばれるようになりました。 この他にも、那珂川町には 小川温泉神社や烏ヶ森など 与一の伝説が残るスポットがたくさんあります。 与一が生まれたとされる那珂川町で、 与一の扇の的にあやかってみてはどうでしょうか? ******************************************* ◎ 那須神田城 栃木県那須郡那珂川町三輪10-2 ◎ 恩田御霊神社 栃木県那須郡那珂川町恩田49 ******************************************* ご協力いただいた那珂川町教育委員会 眞保 昌弘 さん ♪ ![]() |

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源平合戦のヒーロー『 那 須 与 一 』
那珂川町のお隣 大田原市が 与一 縁の地
として広く知られていますが、
実は、那珂川町も 与一と深い縁があるんです!
2013年は 那珂川町の与一めぐり で 一矢必中☆
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