[チャレンジing Photo]2016年9月13日
【甲子園の夢】![]() 彼は学生時代、甲子園を目指した高校球児という
歴史を持つ。 しかし夢かなわず、涙の引退。 卒業後は、自慢の体力・ガッツを活かし、 地元の消防士として働いていた。 もちろん、野球が好きなことには変わりはない。 土日は仲間と草野球。 家に帰れば常にテレビはプロ野球。 ただ、ただ、何か物足りなかった。 甲子園を目指し、死に物狂いで練習に励んだ あの学生時代の熱いものが・・・ そんな時、仲間の結婚式で、昔の先生に再開した。 その先生は野球においての恩師。 彼は言った・・・ 「なんかまた、熱い野球がしたい。」 すると恩師は一言。 「じゃあ、やれば良いじゃん。 審判員として甲子園を目指せ。」 その一言で彼は新たな夢ができた。 「審判員として甲子園に出場する」と。 それから彼は、高校生の試合があるたびに、 審判をしに足を運び、練習、そして経験を積んだ。 そして今年の夏、彼は栃木県の代表として 甲子園出場の切符をつかんだ。 ![]() さらに、作新学院の全国制覇の年に審判ができるという
運命。 那須塩原に帰った今、甲子園でのことを振り返る。 「初日は眠れなかった。でも、夢のようだった。」 そして、これからも彼は変わらぬ思いで野球を愛していく。 高校球児のようなキラキラとした目の輝きで。 ![]() |
この夏、日本中が歓喜に沸いたイベント
「リオデジャネイロオリンピック」。
しかし、栃木県では、それ以上に
盛り上がり、涙したイベントがあった。
それは、夏の全国高校野球大会。
つまり、「甲子園」だ。
作新学院の54年ぶりの全国制覇は、
栃木県民の誇りであり、大偉業として、
県民が涙した。
しかし、甲子園で活躍したのは、
作新学院の野球部だけではなかったことを
皆さんはご存知だろうか・・・
その男もまた、甲子園に夢を抱き、
日々、励んできた男。
彼のダイナミックな動作と、
見る者を納得させる力強い発声は、
間違いなく、甲子園という筋書きのない
ドラマが生まれるに必要不可欠な存在。
その重要なポジションとは「審判」。
目立ってはいけない。
それでいて、1つのミスで、
ゲームの流れが、
いや、人生が左右してしまうほど、
責任重要なポジションと言うのは、
決して大袈裟な言い方では無いだろう。
そんな仕事に誇りを持ち、
甲子園と言う夢の舞台に足を運んだ男。
彼の名は「松本敏弘」。
笑顔がよく似合う、男だ。