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ディア・フレンズ 11:00~11:30
2024/5/8 11:19/I’m home/Tani Yuuki
日本の競泳界を引っ張る存在となった萩野公介が、初めて水泳に触れたのは
生後わずか6か月。母親と楽しむ“ベビースイミング”がきっかけだった。
その後、小学校低学年から学童新記録を更新し、中学以降も各年代の新記録を樹立した。
作新学院高校3年の夏、17歳で初出場となったロンドンオリンピックでは
400m個人メドレーで銅メダルを獲得し、一気にトップアスリートの階段を駆け上がっていった。
東洋大学1年の夏、バルセロナで行われた世界水泳でも多種目に出場し、
マルチスイマーとしてその存在感をアピール。
2016年 リオデジャネイロオリンピックでは
400m個人メドレーで金メダル、200m個人メドレーで銀メダル、
4×(かける)200mフリーリレーで銅メダルを獲得し、快挙を成し遂げた。
日本人のアスリートは世界の選手に比べて小柄だ。萩野も身長177センチ。
世界大会のスタート台に立つと身長190センチの選手の中では華奢に見えてしまう。しかし彼の強さは、水中ドルフィンキックのスピードを生み出す強いバネと、
水中から体が浮いているように見える抵抗が少ない泳ぎ。
激しくストロークしているのにとても優雅に見える。
天性の才能でサクセスストーリを駆け上がる萩野。
しかし、大きな挫折も経験した。
大学3年の夏、ロシアで開催された世界水泳、直前合宿先のヨーロッパで
ひじの骨折という事故にあい、まさかの欠場。
選手生命の要であるひじの骨折はその後、萩野選手を苦しめる。
リオオリンピックで3つのメダルを獲得した翌年、
大学卒業後プロとして初めて臨んだ世界水泳ブタペストでは苦戦を強いられた。
「金メダルを取りに行く」と宣言した200m個人メドレーでは、辛くも銀だった…。
リオオリンピック後に行った肘の手術の影響で、冬場の泳ぎ込みが出来なかった萩野。
その他のレースでも結果が出せず、萩野自身が特に思い入れのある800mリレーでは
5位という結果に人目もはばからず泣き崩れた。
日本の競泳界を引っ張っていくエースとしての重圧に潰されそうになっている萩野に
チームメイトは「一人で背負うな」と、声を掛け合った。
帰国後、萩野はこう語った…
「競泳は個人競技だけど、ひとりじゃない。みんなと闘っているんだ。」
萩野はこれからも進化し続ける…