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生コマ

[THE LEGENDS ATHLETE OF TOCHIGI]

2017年10月14日

第2回 日光アイスバックス 福藤 豊(ふくふじ ゆたか)

日本人で唯一のNHLプレーヤー福藤豊。
ポジションは、ゴールキーパー。
1982年、北海道釧路市に生まれた福藤は、小学3年でアイスホッケーを始める。
中学時代に全国優勝。卒業後、宮城へ単身移り住み、東北高校に進学。
U-18世界選手権・世界ジュニア選手権などに出場し、
3年生の時、アイスホッケー界で、高校生初の日本代表に選ばれた。

高校卒業後の2000年春、コクドに入社し、
当時の日本のアイスホッケーのトップリーグ「日本リーグ」でプレーした。

翌年には、渡米しNHL下部3部リーグのチームにて1年間プレーし、
再びコクドへ戻り、日本リーグ、全日本選手権で優勝。
ともに最優秀GK賞を獲得し活躍を見せた。

2004年、再びNHLドラフトで、ロサンゼルスキングスより指名を受け渡米、
開幕は3部リーグでのスタートだったが、その才能が認められ、
2部リーグに昇格しプレーする。
そして3年目の2006年12月、NHLへ昇格を果たし、
ついに、日本人初のNHLデビューを飾った。

スーパーセーブでゴールを守り、その後の試合で先発も含め、4試合に出場。
低迷するチーム事情から、キャリアのある選手を補強する流れで
福藤の出場機会が減ってしまった。

2009年に活躍の場をヨーロッパへ移し、オランダやデンマークでプレー。
2010年に帰国し、アイスホッケー日本のトップリーグ「アジアリーグ」に所属する、
栃木日光アイスバックスに入団。
デビュー戦では、スーパーセーブを連発し観客を魅了した。

「NHLに入団した時が、自分のスタートだと思って正直嬉しかったし、
ずっとこのポジションにしがみついてプレーしたいと思った。」
「小さい時は、アイスホッケーが大好きで、毎日一生懸命に練習していました。」

現在も守護神として、栃木のゴールと、日本代表として日本のゴールを守り続けている…

2017年10月7日

第1回 栃木ブレックス 田臥 勇太(たぶせ ゆうた)

日本人初のNBAプレーヤー田臥勇太。
昨年2016年に誕生した、日本バスケットボールのトップリーグ
「B.LEAGUE」初代王者 栃木ブレックスのポイントガードを務める中心選手である。

1980年 横浜市で生まれ。
中学時代、バスケットボールの全国大会 優勝は逃したが、全国に名をとどろかせた。
その後、故郷を離れ 名門秋田県立能代工業高校に進学。
1年時からレギュラーを勝ち取り、前代未聞の高校3年間3冠の完全制覇
9冠という偉業を成し遂げる。

高校生で日本代表に選出、世界ジュニア選抜にも選ばれた彼は、
数多くの日本の有名大学のオファーを断り、バスケの本場アメリカへの留学を決意した。


将来、NBAでプレーを目指すことを考え、英語力を身につけるために
名門とはいえないハワイの大学に留学。
しかし、バスケの出来ない葛藤の日々を過ごした。

留学3年目…バスケに打ち込むために退学を決意。そして帰国した。


2002年、当時の日本のバスケットボールトップリーグJBLに所属する、
トヨタアルバルクに入団。
プロとしての第1歩を踏み出した。
ルーキーだが、開幕戦からシーズン全試合に出場し大活躍。
オフに再びアメリカに行き、NBAの試合を観戦した田臥は、
改めて自分の目標を再確認した。

1年でチームを退団し、なんの宛てもないまま、自らの夢への挑戦のため、
再びアメリカに渡った。そして…

NBA「デンバーナゲッツ」の練習に参加し、日本人初となる
NBAプレイヤー誕生かと、日本中が期待した。

そかし、2003年シーズンの開幕戦登録メンバーに田臥の名前はなかった。
突然の監督からの解雇通告。
1度目のチャレンジはかなわなかった…。

そのままアメリカで頑張ることを決意し、NBAを目指す選手が数多くプレーする
独立リーグに入団、そこで たくさんの刺激を受けた。

そして翌年、ついにNBA「フェニックス・サンズ」の開幕メンバーに選ばれた。
日本人初のNBAプレヤーの誕生だ。


11月3日の開幕戦。試合終了まで残り10分の第4クオーターで、
ずっと夢見ていたNBAのコートに田臥が立った。

デビュー戦を7得点という華々しい記録で飾り、
その後4試合に出場し、チームも連勝していたが、
強豪選手補強のため、またしても突然の解雇通告。

しかし、あきらめずに独立リーグに入団。
田臥は活躍し、優勝争いの立役者となった。


アメリカから帰国した田臥は、2008年に、リンク栃木ブレックスに入団。
チームの中心選手となり、日本トップリーグでブレックスを2度の優勝に導いた。


「自分は決して日本のトップ選手ではないです。」

「自分は、身長も173センチと小さいですし、みんなに無理だといわれた。
 NBAの挑戦は、みんな最初から無理だと決め付けて挑戦しないだけです。」

「夢をあきらめずに挑戦し、努力た結果、今があるんです。」

「あの独特の世界感は、世界のトップリーグに挑戦した人間にしか分からないものがあります。」

「皆さんも、あきらめず、決め付けずにチャレンジしてみて下さい。」


田臥は、現在も栃木だけではなく日本のバスケットボール界の発展に貢献し続けている。

今年も2017-18シーズンが、9月30日に開幕した。

日本のバスケットボールのトップリーグ「B.LEAGUE」初代王者 として、
栃木ブレックスの、2連覇という目標に向かって、田臥勇太は全力で走り続ける…

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